57

仕事は​神の​力に​あずかる​こと

人間は​創造された​最初の​瞬間から​働かねばならなかった。​これは​私が​言い出した​ことでは​ありません。​聖書の​最初の​頁を​開けば​充分​お分かりに​なるでしょう。​人類が​罪を​犯し、​その​結果、​死と​罪と​惨めさを​負うようになる前に​5、​神は​土から​アダムを​造り、​アダムと​その​子孫の​ために、​このように​美しい​世界を​お与えに​なりましたが、​それは​「耕し、​守るように」6させる​ためでした。

​ それゆえ、​仕事から​逃げ出そうとする​人には、​仕事とは、​なんらかの​形で​誰もが​果た​すべきものであり、​無情な​法律のように​課せられては​いるが、​同時に​素晴らしい​現実であると​いう​ことを​理解して​欲しいのです。​この​義務は​原罪の​結果と​して​生じたのでも、​近年の​発見に​よる​ものでもない​ことを​忘れないでください。​日々を​仕事で​満たし、​創造の​わざに​あずから​せる​ために、​この​世で​神が​私たちに​お任せに​なった​手段、​生活の​糧を​得、​同時に​「永遠の​命に​至る​実を​集め」​7る​ために​必要な​手段、​それが​仕事です。​「鳥が​高く​飛ぶために​生まれるように、​人間は​働く​ために​生まれる」8のです。

​ 幾世紀を​経た​今日でも、​こう​考える​人は​少ないとおっしゃるかもしれません。​大部分の​人は​それぞれの​理由で​働いています。​ある​人は​お金の​ため、​ある​人は​家族を​養う​ため、​また別の​人は​社会的地位を​高める​ためとか​能力を​伸ば​すため、​情欲を​満足させる​ためや​社会の​発展に​貢献する​ため、と​いった​具合に。​そして、​たいていの​場合は、​避けようにも​避けられず、​仕方​なく​働いています。

​ こういった​表面的で​利己主義的なさもしい​見方に​対しては、​みな​神の​子であり、​福音書の​喩え話に​登場する​あの​男のように、​父なる​神から​「わたしのぶどう​園に​行って​働きなさい」9と​招かれている​ことを、​まず​私たち自身が​思い出し、​また、​人々に​思い起こさせてあげる​必要が​あります。​個人的な​義務を​神の​命令と​して​受け取るよう​日々​努力すれば、​人間的にも​超自然的にも​最高完全に​物事を​やり遂げる​ことができるでしょう。​時には、​「いやです」​10と​答えた​長男のように​反抗する​こともあるでしょうが、​痛悔して​心を​改め、​義務遂行に​できるだけ​努力したい​ものです。

この点を別の言語で