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ヨセフの​信仰・愛・希望

 正義とは​法への​単なる​服従と​いう​ことだけでは​ありません。​正しさは​心の​内から​生まれる​べきもの、​深く​生き​生きとした​ものであるべきです。​「神に​従う​人は​信仰に​よって​生きる」​6からです。​「信仰に​よって​生きる」。​この​言葉は、​後に​なって​何度も​聖パウロが​その​祈りの​テーマと​して​取り上げましたが、​聖ヨセフに​よって​十分に​実現されていました。​ヨセフは​習慣的、​形式的な​仕方で​神のみ​旨を​果たしたのではなく、​自発的に​自ら​進んで、​しかも​深く​内容を​理解して​果たしていました。​すべての​ユダヤ人の​実行していた​法は、​彼に​とっては、​単なる​法典でも​冷淡な​教訓書でもなく、​神のみ​旨の​顕れでした。​だから​こそ、​予想もしない​ときに​主が​お現れに​なった​とき、​その声を​聞き分ける​ことが​できたのです。

​ 聖ヨセフの​生涯は、​素朴な​生活では​ありましたが、​決して​生易しい​ものでは​ありませんでした。​苦悩の​後に、​彼は​聖マリアの​胎内に​御子が​聖霊に​よって​宿っている​ことを​知ったのです。​そして、​その​幼子は、​神の​御子であり、​血筋に​よれば​ダビデ家の​子孫であるのに​馬小屋で​お生まれに​なったのです。​天使たちは​その​ご降誕を​祝い、​遠国の​人々は​礼拝に​やってきました。​けれども、​ユダヤの​王が​彼を​殺そうとたくらんだので、​逃げざるを​得なくなったのです。​神の​御子は​外見上では​まだ​保護を​必要とした​嬰児でしかなかったのに、​エジプトに​お住まいになろうと​しているのです。

聖書への参照
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