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信仰も​キリスト信者と​しての​召し出しも、​生活の​一部だけでなく​全体に、​計り​知れない​影響を​及ぼすのです。​人と​神との​関係は​依託の​関係であって、​全面的な​ものであるべきです。​信仰を​もつ​人のとるべき態度は、​神が​お与えに​なる​新しい​視点から​自己の​生活すべてを​認識する​ことなのです。

​ 本日、​聖ヨセフの​祝日を​ここで​共に​祝っている​皆さま方は、​種々​様々な​仕事に​携わっておられる​ことでしょうし、​また、​それぞれの​家庭を​持っておられ、​異なった​国々の​出身で、​異なる​言語を​話される​ことでしょう。​学校を​卒業されて、​長い​期間に​わたって​仕事に​励んで​こられ、​同僚と​共に​仕事を​通じ、​個人的なつながりを​通じて​団体や​社会の​様々な​問題の​解決に​当たって​こられた​ことと​思います。

​ これら​すべて、​神の​ご計画とは​無関係ではない​ことを、​今一度​思い出してみましょう。​われわれが​人間と​して​授けられた​自然的召し出しや​職業的召し出しは、​神が​お与えに​なる​超自然の​召し出しの​重要な​部分なのです。​重要であるから​こそ、​自らの​仕事や​環境を​聖化する​ことに​よって、​自分​自身の​聖性を​求めるだけでなく、​同時に​人々と​同僚の​聖化に​貢献しなければなりません。​すなわち、​毎日の​生活の​大部分を​占めるだけでなく​この​世に​生きる​人の​特長と​なるべき​仕事や​任務、​家族や​家庭、​そして​自分が​愛する​祖国を​聖化しなければならないのです。

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