聖ヨセフの仕事場

1963年3月19日 聖ヨセフの祝日


教会は、​聖ヨセフを​保護者と​して​崇めています。​幾世紀にも​わたって、​聖ヨセフに​ついていろいろな​ことが​語られてきましたが、​その​生涯を​通して、​神が​彼に​託された​使命に​常に​忠実であったことが​特に​強調されています。​それで、​私は​以前から、​好んで​〈私の​父・​私の​主〉と​親しみを​込めて​聖ヨセフを​呼んでいます。

​ 聖ヨセフは、​確かに​私たちの​父であり主であります。​と​いうのは、​イエスが​成長して​大人に​なるまで​保護し、​付き添ったように、​聖ヨセフを​崇敬する​人たちを​この​地上に​おいて​保護し、​付き添ってくださるからです。​聖ヨセフと​接している​ならば、​彼が​内的生活の​師である​ことも​わかります。​なぜなら、​私たちに、​イエスを​知る​こと、​イエスとともに​生きる​こと、​私たちも​神の​家族の​一員である​ことなどを​教えてくださるからです。​聖ヨセフは​普通の​人であり、​家庭の​長であり、​自らの​努力で​生計を​立てた労働者でありました。​そうであったからこそ​彼は​模範を​示すことが​できたのです。​そして、​この​ことを​私たちは​深く​考え、​喜ばなければなりません。

​ 今日、​その​祝日を​祝うに​あたって、​聖福音書が​聖ヨセフに​ついて​語っている​ことを​思い​起こしながら、​彼の​姿を​描き出してみましょう。​そう​すれば、​聖マリアの​夫と​しての​聖ヨセフの​飾り気の​ない​生活を​通して、​神が​私たちに​伝えようと​しておいでになることが、​もっと​よく​わかるようになるでしょう。

福音書に​おける​聖ヨセフ

 聖マタイも、​聖ルカも、​聖ヨセフを​由緒ある​家系、​すなわちイスラエルの​王ダビデと​ソロモンの​子孫と​して​語っています。​この​先祖に​ついて、​歴史的には​あまり​正確に​わかっていません。​福音史家が​語っている​二つの​家系の​どちらが​マリア ― 肉身上の​イエスの​母 ― に​あたり、​どちらが​ユダヤ法上の​父である​聖ヨセフに​あたるのかわからないのです。​また、​聖ヨセフの​出身地は、​住民登録を​した​ベトレヘムであったのか、​あるいは、​生活し働いていた​ナザレであったのか、​これもはっきりしていません。

​ しかし、​聖ヨセフは​金持ちではなく、​世界中の​何万と​いう​人々のように​一人の​労働者に​すぎず、​骨の​折れる​慎ましい​仕事を​していた​ことは​わかっています。​そして、​神は、​人と​なって、​私たちの​うちの​一人と​して​三十年間過ごそうとお望みに​なった​とき、​この​ヨセフの​仕事を​ご自分の​ものとしてお選びに​なりました。

​ 聖書は、​聖ヨセフが​職人であったと​述べています。​ある​教父は​大工であったと​付け加えています。​聖ユスティノは、​イエスの​労働生活に​ついて​述べ、​鋤やく​びきを​作っておられた​と​言っています1。​この​言葉に​基づいた​ものと​思われますが、​セビリアの​聖イシドロは、​聖ヨセフが​鍛治職人であったと​いう​結論を​出しています。​とにかく、​聖ヨセフは​周囲の​村人への​奉仕の​ために​働く​人、​長年の​努力と​汗の​賜物である​巧みな​技術を​身に​つけていた​職人でありました。

​ 聖なる​福音書の​語っている​ところから、​聖ヨセフの​偉大な​人格に​ついて​考えてみると、​種々の​問題に​当面する​とき、​いささかなりとも​気弱であったり尻込みしたりする​人物ではなく、​むしろ問題に​直面し、​困難な​状況に​陥った​ときにも​切り抜け、​責任感と​独創性とを​もって、​自分に​委ねられた​任務を​果たした​人物であった​と​推し量る​ことができるでしょう。

​ 昔から​聖ヨセフは​老人のように​描かれてきていますが、​聖マリアの​終生​童貞性を​際立たせると​いう​良い​意向に​よってなされた​とは​いえ、​私は​これには​賛成できません。​私は、​彼が​若くて​逞しく、​おそらく、​聖母よりも​少し年上で、​成熟した​力強さに​満ちた​人物であったと​想像します。

​ 貞潔の​徳を​実行する​ためには、​老年に​なって​逞しさが​衰えるのを​待つ必要は​ありません。​貞潔は​愛より​生まれます。​そして、​清い愛を​保つために、​若者の​力強さや​喜びは​障害とは​ならないのです。​聖ヨセフが、​マリアと​結婚した​ときや​聖マリアが​神の​御母であると​いう​秘義を​知った​とき、​更に​また、​神が​人々の​間に​おいでになった​ことを​示すもう​一つの​しるしと​して、​この​世に​与えようと​望まれた​童貞性を、​完全に​尊重しながら​聖マリアと​一緒に​生活していた​とき、​聖ヨセフの​心も​肉体も​若々しかったのです。​このような​清い愛を​理解できない​人は、​真の​愛が​何であるか​あまりわかっていないでしょうし、​貞潔に​ついての​キリスト教的意味を​も​全く​悟っていない​ことでしょう。

​ すでに​述べたように、​聖ヨセフは​ガリラヤの​一職人であり、​大勢の​中の​一人に​すぎませんでした。​ナザレのような​ひっそりと​した​田舎では、​人は​自分の​生活に​一体​何を​期待する​ことが​できたでしょうか。​何の​かわりばえもしない、​ただ毎​日​繰り返すだけの​仕事しか​ありません。​そして、​一日の​仕事を​終えた​とき​待っているのは、​翌日、​その​仕事を​再び始める​ことができるように​元気を​回復する​ための​貧しく​小さな​家だけでした。

​ けれども、​ヨセフと​いう​名が​ヘブライ語で​「神、​付け加え給う」と​いう​ことを​意味しているように、​神は、​そのみ​旨を​果たす​人々の​聖なる​生活に、​最も​大切な​こと、​すべてに​価値を​与える​こと、​神的な​こと、​つまり、​超自然の​意味を​お与えに​なるのです。​神は、​聖ヨセフの​慎ましく​聖なる​生活に、​おとめマリアの​生活と​主なる​イエスの​生活を​付け加えられた、と​言って​よいでしょう。​神は、​寛大さでは​何びとにも​優っておられます。​聖ヨセフは、​聖マリアの​言葉を​自分に​当てはめる​ことが​できたでしょう。​「力ある​方が、​わたしに​偉大な​ことを​なさいました。​身分の​低い、​この​主の​は​しためにも​目を​留めてくださったからです」2と。

​ 聖ヨセフは、​確かに​普通の​人でしたが、​神は​偉大な​業を​成就するに​あたり、​聖ヨセフを​信頼なさいました。​彼は、​生涯を​織り成している​出来事の​すべてを、​神の​お望みのままに​果たすことができました。​それゆえ、​聖書は​聖ヨセフを​称賛し、​ヨセフが​義人〈正しい​人〉であった​3と​述べています。​ヘブライ語で​正しい​人とは、​すなわち、​信心深い人、​神への​申し分ない​奉仕者、​神のみ​旨の​成就者4、​あるいは、​隣人に​対して​善良で​親切な​人5の​ことを​意味しています。​一言で​いうなら、​義人とは​神を​愛する​人の​ことであり、​神の​掟を​果たし、​全生涯を​兄弟や​人々への​奉仕に​捧げながら​その​愛を​示す人の​ことなのです。

ヨセフの​信仰・愛・希望

 正義とは​法への​単なる​服従と​いう​ことだけでは​ありません。​正しさは​心の​内から​生まれる​べきもの、​深く​生き​生きとした​ものであるべきです。​「神に​従う​人は​信仰に​よって​生きる」​6からです。​「信仰に​よって​生きる」。​この​言葉は、​後に​なって​何度も​聖パウロが​その​祈りの​テーマと​して​取り上げましたが、​聖ヨセフに​よって​十分に​実現されていました。​ヨセフは​習慣的、​形式的な​仕方で​神のみ​旨を​果たしたのではなく、​自発的に​自ら​進んで、​しかも​深く​内容を​理解して​果たしていました。​すべての​ユダヤ人の​実行していた​法は、​彼に​とっては、​単なる​法典でも​冷淡な​教訓書でもなく、​神のみ​旨の​顕れでした。​だから​こそ、​予想もしない​ときに​主が​お現れに​なった​とき、​その声を​聞き分ける​ことが​できたのです。

​ 聖ヨセフの​生涯は、​素朴な​生活では​ありましたが、​決して​生易しい​ものでは​ありませんでした。​苦悩の​後に、​彼は​聖マリアの​胎内に​御子が​聖霊に​よって​宿っている​ことを​知ったのです。​そして、​その​幼子は、​神の​御子であり、​血筋に​よれば​ダビデ家の​子孫であるのに​馬小屋で​お生まれに​なったのです。​天使たちは​その​ご降誕を​祝い、​遠国の​人々は​礼拝に​やってきました。​けれども、​ユダヤの​王が​彼を​殺そうとたくらんだので、​逃げざるを​得なくなったのです。​神の​御子は​外見上では​まだ​保護を​必要とした​嬰児でしかなかったのに、​エジプトに​お住まいになろうと​しているのです。

このような​出来事を​語る​聖マタイは​聖ヨセフの​忠実を​絶えず​強調しています。​時には​神の​ご命令の​意味が​曖昧に​感じられたり、​一つの​命令と​神の​他の​計画との​関係が​わからない​場合が​あったりしても、​聖ヨセフは​ためらわずに​神の​命令を​忠実に​果たしていた​ことが​よく​わかるのです。

​ 教父たちや​霊的著作者たちは、​何度も​何度も、​聖ヨセフの​この​堅固な​信仰を​強調しています。​へロデから​逃れてエジプトに​避難するように​命じた天使の​言葉7を​取り上げて、​聖ヨハネ・クリゾストムは、​次のように​語っています。​「これを​聞いた​とき、​聖ヨセフは​大騒ぎを​したり、​これは​謎の​ようだと​言ったりは​しませんでした。​『御身は、​少し​前に、​御子が​民族を​救う​ものであろうと​いう​ことを​私たちに​お告げに​なったでは​ありませんか。​それなのに​今は、​自らを​救う​ことさえできなくて​私たちは​逃げなくてはならないのでしょうか。​旅の​道に​仮住まいの​不便を​耐えなければならないのでしょうか。​これは、​御身の​約束に​反する​ことです』― 聖ヨセフは​このような​ことを​考えたりは​しませんでした。​それは​聖ヨセフが​神に​忠実な​人であったからです。​天使は、​私が​告げるまで​エジプトに​留まるようにと​曖昧に​しか​言わなかったにも​拘わらず、​聖ヨセフは​帰郷の​ときを​尋ねたりは​しませんでした。​それどころか、​それに​よって​非協力的に​なることもなく、​神を​信じ、​神に​従い、​そして​喜んですべての​試みを​耐え​忍んだのです」8。

​ 聖ヨセフの​信仰には​ためらいが​ありませんでした。​彼の​従順は​いつも​厳格で​迅速でした。​ここで、​この​家庭の​長が​与える​教訓を​いっそう​よく​理解する​ために、​その​信仰が​積極的であった​こと、​また​聖ヨセフの​素直な​態度は、​環境に​左右され​易い​人々が​示す従順とは​異なっていた​ことを​考えてみると​よいと​思います。​と​いうのは、​キリスト教の​信仰は​順応主義とか、​積極性や​内的エネルギーの​欠如とは​正反対の​ものであるからです。

​ ヨセフは、​あますところなく​神のみ​手に​自分を​委ねました。​けれども、​次々と​起こってくることに​関して、​自分なりに​考察する​ことを​拒むような​ことは​決してしません。​聖ヨセフは、​理性を​働かせ考えていたから​こそ、​真の​知恵である​神のみ​業を​かくも​深く​理解する​ことが​できたのです。​それが、​時には​人間の​計画と​矛盾する​ことは​あっても、​神の​ご計画は、​常に​首尾一貫した​ものであると​いう​ことを、​聖ヨセフは​このように​して​少しずつ​学んで​ゆきました。

​ 聖ヨセフは、​その​生涯の​どのような​状況に​おいても​頭を​使う​ことを​止めたり、​責任逃れを​したりは​しませんでした。​それどころか、​すべての​経験を​信仰に​役立てたのです。​たとえば、​エジプトから​帰った​とき、​「アルケラオが​父ヘロデの​跡を​継いで​ユダヤを​支配していると​聞き、​そこに​行く​ことを​恐れた」9。​言い​換えれば、​彼は​神の​計画に​沿って​自分で​行動する​ことを​すでに​学んでいたのです。​そして、​彼が​察した​そのことが、​確かに​神のみ旨であると​いう​ことを​証明するかのように、​ガリラヤヘ戻るようにと​いう​指図を​受けたのです。

​ 聖ヨセフの​信仰は、​神のみ​旨への​効果的な​依託と​賢明な​従順と​なって​具体的に​表され、​すべてに​わたって​信頼に​満ち、​疑いの​かけらさえも​ない​ものでした。​そして、​その​信仰には​心からの​愛が​伴っていました。​彼の​信仰は、​アブラハム、​ヤコブ、​モーセに​与えた​約束を​実現しようとなさっていた​神に​対する​愛、​聖マリアに​対しての​夫と​しての愛、​イエスに​対しての​父親と​しての​愛と​融合した​ものでした。​それは、​神が​ガリラヤの​大工である​彼を​用いて、​この​世で​お始めに​なった​み業、​つまり、​人々の​救いと​いう​偉大な​使命に​対する​希望に​基づいた​信仰と愛であったのです。

信仰・愛・希望。​これは​聖ヨセフの​生活の​要であり、​すべての​キリスト教的生活の​要でもあります。​聖ヨセフの​奉献は、​忠実な愛、​愛の​こもった​信仰、​信頼に​満ちた​希望が​織り込まれた​つづれ織りのような​ものです。​それゆえ、​聖ヨセフの​祝日は、​私たち一人​ひとりが​神から​託された​キリスト信者と​しての​召命に​対する​奉献を​更新するのに​ちょうど​良い​機会なのです。

​ もし、​心から​真面目に、​信仰・愛・希望を​もって​生きる​ことを​望むなら、​奉献を​更新すると​いう​ことは、​久しく​使った​ことの​ない​ものを​取り出して​身に​つけると​いう​ことには​ならないのです。​信仰と​愛と​希望が​あれば、​更新すると​いう​ことは、​個人的​過ちや、​失敗や​弱さを​ものとも​せず、​忠誠の​道を​固める​ことです。​繰り返して​申しますが、​奉献の​更新とは、​神が​お望みに​なる​ことへの​忠誠を​新たに​する​こと、​すなわち行いを​もって​神を​愛すると​いう​ことなのです。

​ 愛には、​愛に​固有の​表現が​ある​ものです。​時々、​愛が​あたかも​自己満足への​衝動とか、​自己の​人格を​利己的に​補充する​ための​手段に​すぎないかのように​言われていますが、​愛とは​そのような​ものでは​ありません。​真実の​愛は、​自分​自身を​離脱して​自己を​捧げる​ことなのです。​愛は​それ自体​喜びを​伴う​ものです。​しかし、​その​喜びは​十字架に​基づいた​ものなのです。​この​世に​あって、​来世の​完全な​生命に​達する​ことができない間は、​犠牲と​苦痛の​経験を​伴わない​真の​愛などは​あり得ません。​その​苦痛は、​味わいの​ある​愛すべき深い​喜びの​源であるとは​いえ、​利己主義に​勝つこと、​そして、​私たちの​一つ​ひとつの​行いの​基準と​して​神の​愛を​選んでゆく​ことを​前提と​しているので、​非常に​辛い​ものです。

​表面的には​小さい​事柄であるかのように​見えても、​神の​愛に​よってなされた​業は​いつも​偉大な​ものです。​神は​哀れな​被造物である​人間に​近づき、​私たちを​愛しているとおっしゃいました。​「人の​子らと​共に​楽しむ」10。​人間の​目には​大事だと​思われるような​活動も、​また​反対に​ほんの​少しの​価値しかないと​考えられている​事柄も、​すべて​同じように​重要であると​いう​ことを​主は​教えてくださいました。​何も​無駄には​なりません。​神は​何人も​見下げたりなさいません。​すべての​人は​それぞれの​召し出しに​従いつつ、​つまり、​家庭や​職場での​自分の​地位に​伴う​義務を​実行しながら、​社会人と​しての​務めを​果たしながら、​自分の​権利を​行使しながら、​天国に​あずかるように、​神に​呼ばれているのです。

​ 聖ヨセフは​前述のような​ことを​私たちに​教えてくださいました。​すなわち、​その​生涯は​単調な​日々の​連続であり、​何年もの間、​いつも​変わらない​仕事を​やり続けた、​ごく​ありふれた​ものであったと​いう​ことです。​私は​聖ヨセフに​ついて​黙想した​とき、​この​ことに​気が​付きました。​そして​これが、​彼に​特別な​信心を​感じる​理由の​一つなのです。

​ 一九六二年十二月八日、​第二バチカン公会議の​席上で​教皇ヨハネ二十三世が、​聖ヨセフの​名を、​ミサ奉献文​(カノン・ロマーノ)の​中に​入れる​ことを​宣言された​とき、​友人の​枢機卿から​すぐに​次のような​電話が​ありました。​「おめでとう。​この​宣言を​聞いた​とき、​すぐに​私は​貴方の​こと、​そして​貴方が​どんなに​喜ばれるかと​いう​ことを​考えました」。​確かに​そうだったのです。​聖霊のもとに​集まり、​全教会を​代表している​公会議で、​神の​目から​見た​聖ヨセフの​寛大さ、​神に​面を​向けて​働き、​神のみ​旨を​こと​ごとく​果た​した​その​素朴な​生活の​価値が​称賛されたからです。

仕事の​聖化・仕事に​よる​自己聖化と​隣人の​聖化

 ​私の​生涯を​捧げてきた​オプス・​デイの​精神を​説明する​とき、​私は​いつも​〈日常の​仕事〉が​その​中心であると​述べてきました。​召し出しに​よって​私たちは​一つの​使命を​与えられ、​教会の​唯一の​使命に​参加するように​招かれています。​それは​私たちの​同僚の​前で​キリストの​証人と​なり、​すべての​事柄を​神の​方へと​導いてゆく​ことなのです。

​ 召し出しに​よって​一つの​灯が​ともされ、​それに​よって​人生の​意義を​悟り、​信仰の​光を​もって​この​世での​現実の​も​つ​意味を​理解します。​私たちの​過去・現在・未来の​全生涯は、​以前には​気づかなかった​意義と​奥行きとを​もつようになり、​すべての​出来事や​状況は、​今や​その本来の​場所を​占めるようになります。​主が​何処に​私たちを​導いて​行かれるのかが​わかり、​私たちに​託された​役割に​引きつけられていくかのように​感じられるのです。

​ 神は、​私たちを​人生の​不確かな​歩みや​無知と​いう​暗闇から​引き出し、​ある​日、​ペトロと​アンデレに​なさったように​力強い声で​呼びかけてくださいます。​「わたしに​ついて​来なさい。​人間を​とる​漁師にしよう」11。

​ 信仰に​生きる​人は、​困難や​戦い、​苦悩や​悲しみに​遭遇する​ことが​あっても、​決して​挫けたり悩み苦しんだりは​しません。​自分の​生命も​人の​ために​役立てる​ことができる​こと、​また、​なぜ​この​世に​生まれて​来たかを​知っているからです。​「わたしは​世の光である。​わたしに​従う者は​暗闇の​中を​歩かず、​命の​光を​持つ」12と​キリストは​叫ばれました。

​ この​神の​光を​受けるには、​愛する​心を​持たなければなりません。​自分で​自分を​救う​ことは​できない​ことを​謙遜に​認め、​ペトロと​共に​「主よ、​わたしたちは​だれの​ところへ​行きましょうか。​あなたは​永遠の​命の​言葉を​持っておられます。​ あなたこそ神の​聖者であると、​わたしたちは​信じ、​また​知っています」​13と​言わなければならないのです。​もし、​このように​できるならば、​そして​神の​呼びかけを​心から​受け入れる​ことができるならば、​決して​闇を​歩く​ことは​ないのだと​確信を​もって​言い​切る​ことができるのです。​あたかも​嵐が​荒れ狂うはるか​上​空に​太陽が​燦然と​輝いているように、​自己の​惨めさや​欠点を​超えて、​神の​光が​頭上高く​輝いているからなのです。

信仰も​キリスト信者と​しての​召し出しも、​生活の​一部だけでなく​全体に、​計り​知れない​影響を​及ぼすのです。​人と​神との​関係は​依託の​関係であって、​全面的な​ものであるべきです。​信仰を​もつ​人のとるべき態度は、​神が​お与えに​なる​新しい​視点から​自己の​生活すべてを​認識する​ことなのです。

​ 本日、​聖ヨセフの​祝日を​ここで​共に​祝っている​皆さま方は、​種々​様々な​仕事に​携わっておられる​ことでしょうし、​また、​それぞれの​家庭を​持っておられ、​異なった​国々の​出身で、​異なる​言語を​話される​ことでしょう。​学校を​卒業されて、​長い​期間に​わたって​仕事に​励んで​こられ、​同僚と​共に​仕事を​通じ、​個人的なつながりを​通じて​団体や​社会の​様々な​問題の​解決に​当たって​こられた​ことと​思います。

​ これら​すべて、​神の​ご計画とは​無関係ではない​ことを、​今一度​思い出してみましょう。​われわれが​人間と​して​授けられた​自然的召し出しや​職業的召し出しは、​神が​お与えに​なる​超自然の​召し出しの​重要な​部分なのです。​重要であるから​こそ、​自らの​仕事や​環境を​聖化する​ことに​よって、​自分​自身の​聖性を​求めるだけでなく、​同時に​人々と​同僚の​聖化に​貢献しなければなりません。​すなわち、​毎日の​生活の​大部分を​占めるだけでなく​この​世に​生きる​人の​特長と​なるべき​仕事や​任務、​家族や​家庭、​そして​自分が​愛する​祖国を​聖化しなければならないのです。

仕事は、​地上の​人間の​生活に​とって​避け難い​ものです。​仕事には、​努力や​苦労や​疲労が​伴います。​この​世に​生きる​人間の​生活に​苦しみや​戦いが​伴うと​いう​ことは、​私たちが​罪人で​あり救いを​必要と​している​ことを​示しています。​しかし​仕事​その​ものは​罰でも、​呪いでも、​懲らしめでもありません。​仕事を​否定的にとるなら、​聖書を​よく​理解していない​証拠だと​言えましょう。​仕事は​神の​賜物である、​従って​仕事に​貴賎の​別を​つけ、​携わる​仕事の​種類に​よって​人間に​差を​つける​ことは​無意味である、と​キリスト信者は​今こそ声を​大に​して​叫ばなければならないのです。​仕事は​すべて​例外なく​人間の​尊厳の​証明であり、​神の​創造に​なる​世界を​人間が​支配している​証拠なのです。​仕事は​各自の​人格を​発展させる​機会であり、​人々と​協調する​ための​絆と​なり、​家族を​支える​手段でもあります。​さらに​また、​私たちは​仕事を​通して、​社会の​向上と​全人​類の​進歩に​寄与する​ことができるのです。

​ キリスト信者に​とって、​このような​見方は​さらに​広く​大きな​意味を​もつ​ものとなります。​信者に​とって​仕事とは、​神の​創造のみ​業に​参与する​ことだからです。​人類創造の​とき、​神は​祝福しながら​言われました。​「産めよ、​増えよ、​地に​満ちて​地を​従わせよ。​海の​魚、​空の​鳥、​地の​上を​這う​生き物を​すべて​支配せよ」​14。​そのうえ、​キリストが​仕事に​従事された​ときから、​私たちに​とって、​仕事は​贖われた​ものであると​同時に、​救いを​もたらすものとなったのです。​仕事は​単に​人が​生活を​営む場であるだけでなく、​聖化の​手段であり、​道であり、​聖化され得ると​共に​聖化を​もたらす現実なのです。

仕事の​尊厳は​愛に​基づいている​ことを​忘れずに​おきたい​ものです。​愛する​能力は​人間の​特権であって、​この​能力の​おかげで、​私たちははかない​もの​過ぎ去る​ものを​超越する​ことができます。​人間は​自分以外の​人々を​愛し、​あなたとか​私とか、​互いに​呼び合う​ことができるのです。​そして​神を​愛する​ことができます。​神は​天の​門を​開き、​私たちを​その​家族の​一員とし、​顔と​顔とを​合わせて​親しく​語り合う​ところにまで​高めてくださるのです。

​ それゆえ、​私たちは​物を​作ったり​何かを​したりするだけで​満足してはならないのです。​仕事は​愛から​生まれ、​愛を​表し、​愛に​向かうはずだからです。​単に​自然の​驚異の​中のみならず、​仕事の​体験や​努力の​中にも​神を​見出さなければなりません。​そう​すれば、​仕事は​祈りと​なり、​感謝の​行為ともなります。​私たちは​神に​よって​地上に​置かれ、​神から​愛され、​神の​約束の​世継ぎである​ことを​知っているのですから。​「あなたがたは​食べるにしろ飲むに​しろ、​何を​するにしても、​すべて​神の​栄光を​現すために​しなさい」15と​言われるのも​その​ためなのです。

仕事は​また​使徒職の​機会と​なります。​人々に​キリストを​示し、​父である​神の​方​へ​導いていく​ために、​自己を​与える​機会であり、​聖霊が​心に​注ぐ​愛徳の​結果であります。​聖パウロは​エフェソの​人々に​種々の​指示を​与えましたが、​キリスト教に​召された​彼らが、​改宗のも​たらす変化を​どのような​ところに​表さなければならないかに​ついても、​次のように​勧めています。​「盗みを​働いていた​者は、​今からは​盗んではいけません。​むしろ、​労苦して​自分の​手で​正当な​収入を​得、​困っている​人々に​分け与えるようにしなさい」16。​人は​生きる​ために​この​世の​糧を​必要としますが、​心を​照らし温める​天上の​糧も​必要なのです。​仕事を​手段とし、​仕事を​中心に​繰り​広げられる​種々の​活動を​通して、​また​話し合いや​交際に​おいて、​使徒の​この​命令を​具体化する​義務が​私たちには​あるのです。

​ このような​精神で​働くならば、​たとえ現世に​生きる​者に​固有な​限界の​中に​あっても、​私たちの​一生は、​愛・奉献・忠実・友情のみが​支配する​天国の​光栄の​前表、​神や​諸聖人との​交流の​前表と​なるでしょう。​また、​キリスト教的な​生活を​営み、​キリストの​恩恵に​実りを​与える​ための​実際的で​尊く​確かな​手段を、​日常の​仕事の​うちに​見つける​ことができるでしょう。

​ 仕事を​神のみ​前で​行うならば、​信徳・望徳・愛徳を​実行している​ことに​なると​言えます。​仕事上の​出来事、​人々との​関係、​そして​仕事上の​諸問題は、​祈りの​糧と​なる​ことでしょう。​毎日の​仕事を​成し遂げる​努力を​続ければ、​キリスト信者に​なくてはならない​十字架にも​出合う​ことでしょう。​人間の​すべての​努力に​常に​つきまとう​弱さとか​失敗に​よって、​私たちは​一層​現実的で​謙遜に​なり、​人々を​より​よく​理解できるようになる​ことでしょう。​成功や​喜びの​ときは​心から​神に​感謝し、​生きているのは​自分の​ためではなく、​人々と​神に​仕える​ためである​ことを​考える​ことでしょう。

役立つために​仕える

​ 仕事を​聖化しようと​思えば、​人間的な​面でも​超自然的な面でも、とにかく​真剣に​働かなければなりません。​この​点を​よく​理解する​ために、​偽福音書の​物語を​思い出してみましょう。​「イエスの​父は​大工で、​鋤や​頸木を​作っていた。​ある​日、​裕福な​人から​ベッドを​作るよう依頼を​受けたが、​左右の​板の​長さが​揃わず​困って​いた。​すると​幼い​イエスは、​同じ​長さに​なるように​短い方の​板を​引っ張った。​父ヨセフは、​我が​子を​眺め感嘆し、​抱擁と​接吻を​浴びせて​言った。​『私は​幸い者だ。​神様は​こんなに​素晴らしい​子を​授けてくださったから』」17。

​ 聖ヨセフが​このような​動機で​神に​感謝しなかった​ことは​確かです。​ヨセフの​仕事ぶりが​こうであったとは​思えないのです。​聖ヨセフは、​安易で​奇跡的な​解決を​求める​人ではなく、​忍耐と​努力の​人、​必要な​ときには​工夫を​惜しまない​人だったのです。​神が​奇跡を​なさる​ことは​十分に​知っています。​「主の​手が​短くて​救えないのではない」18と​言うとおり、​神は​依然と​して​力強い​御方ですから、​幾世紀も​前に​行われた​奇跡は​今続いて​起こっているのです。

​ しかしながら、​奇跡は​救いを​もたらす神の​全能の​顕れでこそ​あれ、​人間の​無能の​後始末を​引き受け、​楽を​させる​ための​手段では​決してありません。​神が​お望みに​なる​奇跡は、​キリスト信者と​しての​召し出しに​堅忍する​こと、​毎日の​仕事を​聖化する​ことなのです。​普段の​仕事を​愛の​心で​成し遂げる​ことに​よって、​日常生活と​いう​散文を​愛の​詩・英雄詩に​変える​奇跡なのです。​使徒職への​熱意と​責任感を​持ち、​仕事に​有能な​人物に​なる​こと、​これこそ神が​私たちに​かける​期待なのです。

​ そこで、​皆さんの​仕事の​座右の​銘と​して​〈役立つために​仕える​〉を​お勧めしたいのです。​何かを​したと​言える​ためには、​まずやり遂げなければなりません。​託された​仕事を​立派に​果た​すためには​立派な​仕事を​したいと​いう​望みだけでは​十分でなく、​仕事に​熟練しなければなりません。​そして、もし立派な​仕事を​したいと​本心から​望むなら、​人間に​可能な​限り完全な​仕事を​成就する​ために​心要な​手段を​すべて​講ずる​ことでしょう。

しかし、​聖ヨセフの​仕事ぶりには、​熟練や​技能の​ほかに​もう​一つの​大きな​特徴、​つまり​奉仕の​精神が​見られます。​私たちも​公益に​資する​ために​働く​望みと​奉仕の​精神を​持たなければならないのです。​聖ヨセフは​労働に​身を​挺する​ことに​よって、​円熟した​個性的な​人格を​鍛えたとは​いえ、​自己満足を​求めるような​仕事は​決してしませんでした。​ヨセフは、​イエスと​聖マリアの​ために、​さらに​ナザレの​村の​人たちの​公益の​ために​働く​ことに​よって、​神のみ​旨を​果たせると​知っていたのです。

​ ナザレの​聖ヨセフは、​その村で​唯一人ではなかったとしても​数少ない​職人の​一人、​多分​大工であったのでしょう。​しかし、​小さな​村では​よく​あるように、​壊れた​水車の​修理や​冬に​入る​前の​屋根の​修理など、​大工以外の​仕事も​あったはずです。​聖ヨセフは​大勢の​困っている​人々に​手を​貸し、​その​仕事を​完全に​仕上げました。​村人たちに​心地よい​毎日を​送らせる​ための​奉仕の​仕事を​していたのです。​そして、​微笑​みやさりげない​優しい​言葉で​信仰と​喜びを​失い​かけている​人を​力づけるように​努めたのでした。

時々、​自分より​貧しい​人から​仕事を​頼まれる​ことも​あったでしょうが、​そのような​時には、​依頼人が​支払うべき​ものは​支払ったと​満足できるように、​気持ちだけの​ものは​受け取って​引き受けた​ことでしょう。​けれども、​普通の​場合、​成就した​仕事に​対しては​正当な​報酬を​受け取ったに​違い​ありません。​神への​忠実を​理由に、​実際には​義務であるはずの​権利を​捨てる​ことは​間違っているからです。​聖ヨセフは、​仕事の​報酬に​よって、​神から​託された​家族を​支えなければならなかったのですから、​当然受け取るべきものは​請求しなければなりませんでした。

​ 自己の​権利の​主張は、​個人的な​利己主義の​結果であっては​なりません。​人々との​関係に​おいて、​正義が​実行されるのを​求め、​愛さないならば、​実際に​正義を​愛している​ことには​ならないのです。​人々の​必要を​無視して、​安易な​信心生活に​閉じこもることも​許されません。​神のみ​心に​適った​生活を​望むならば、​正義が​人々の​間で​実現されるように​努力しなければならないのです。​そして​それも、​ただ神のみ​名を​損なわなければ​それで​よいと​いうのであっては​なりません。​カトリック信者であると​いう​ことは、​人間社会の​中に​ある​すべての​尊い​願いを​引き出すことも​意味するのです。​使徒聖ヨハネの​有名な​言葉19を​敷衍して​解釈すると、​神に​対しては​正しく​あっても​人々に​対して​正しくない​人は、​嘘つきの​偽善者であって、​その​人には、​真実は​存在していない、と​言えるのです。

​ 勤労者聖ヨセフの​祝日が​典礼上の​祭日に​加えられた​とき、​すべての​カトリック信者と​同様、​私も​大いに​感激しました。​この​祝日は​仕事の​神的価値を​教会が​公に​認めた​ことを​示しますが、​同時に、​神の​お望みに​よって​我々の​時代が​特に​黙想しなければならない、​福音書の​中心的な​真理を、​教会が​共同体と​して​公に​示したことにも​なるからです。

聖ヨセフの​生活の​特徴である​自然で​素朴な​態度に​ついては、​別の​機会に​何度も​話しましたが、​もう​一度​強調したいと​思います。​聖ヨセフは、​自ら​隣人から​離れたり、​隣人との​間に​不必要な​壁を​作ったりは​しなかったのです。

​ カトリック労働者とか、​カトリック技術者とか、​カトリック医師などの​名称を​耳に​する​ことがありますが、​時に​便利な​言葉であるとは​言え、​あまり​感心は​できません。​あたかも​人を​差別し、​分類しているようであり、​また、​信者が​人々から​離れて​小さな​グループを​形成し、​その​結果、​信者と​それ以外の​人々との​間に​溝が​あるような​印象を​与えるからです。​この​考え方に​反対の​意見も​尊重したいと​思いますが、​カトリック信者である​労働者、​あるいは​労働者である​カトリック信者、​カトリック信者である​技師、​技師である​カトリック信者と​呼ぶ方が​より​適切だと​考えています。​なぜなら、​知的職業や​技術的な​職業、​手仕事に​それぞれ従事する、​信仰を​有する​人たちは、​ほかの​人々と​同じ​権利と​義務、​同じ​改善への​望みを​もち、​共通の​問題に​直面し、​その​解決を​図ろうと​いう​熱意に​おいて​互いに​結ばれているからです。

​ このような​カトリック信者で​あれば、​日常生活を​通して、​信仰・希望・愛を​証明する​ことができるのです。​信者は​唯一の​神の​民が​有する​すべての​権利を​持っていますから、​信者自身が​教会なのです。​従って、​信仰に​一致した​日常生活を​もって、​この​世に​現存する​教会を、​ことさら​目立つ態度を​とらなくても、​ごく​自然に、​人々に​示すことができるのです。

聖ヨセフと​イエスとの​父子関係

 教会が​勧める​ミサの​準備の​祈りの​うち、​特に​聖ヨセフヘの​あの​感動的な​祈願を​私は​以前から​よく​唱えるように​しています。​「さい​わいなる​ヨセフよ、​多くの​王たちが見ようと​望んで​見られず、​聞こうと​望んで​聞き得なかったかの​神を、​あなたは、​見、​そして​聞き得た​のみか、​それを​腕に​抱き、​抱擁し、​服を​着せ、​保護する​こともあなたに​任された。​聖ヨセフ、​我らの​ために​祈り給え」。​この​祈りを​唱えた​ところで、​ヨセフと​イエスとの​親しい​交流に​ついての​話題に​入りたいと​思います。

​ 聖ヨセフに​とって​イエスとの​生活は、​自己の​召し出しに​ついて​絶え間なく​発見を​続ける​機会と​なりました。​栄光と​逃走、​東方の​賢人の​荘厳な​礼拝と​厳しい​貧困、​天使の​歌声と​人々の​沈黙など、​一見した​ところ​矛盾だらけで​事件の​多かった、​最初の​頃に​ついては​先ほど​考えてみました。​イエスを​神殿に​奉献する​時が​来たので、​山鳩​一つが​いの​貧しい​供え物を​捧げた​聖ヨセフは、​シメオンと​アンナが​イエスは​メシアであると​宣言するのを​聞きました。​そして​「父と​母は、​幼子に​ついて​このように​言われた​ことに​驚いていた」20と​聖ルカは​記しています。​その後、​聖マリアと​聖ヨセフの​気づかないうちに、​イエスは​神殿に​残りましたが、​三日間に​わたる​捜索の​あとの​再会の​様子を、​同じく​聖ルカは​「両親は​イエスを​見て​驚き」21と​書き記しています。

​ 聖ヨセフは​驚き、​感嘆しています。​神は​ご計画を​徐々に​示され、​ヨセフは​その​ご計画を​理解しようと​努力しています。​イエスの​傍近く​従いたいと​心から​望むヨセフは、​緩慢な​歩みや​惰性に​陥ってはならない​ことを​直ちに​悟ります。​辿り着いた所で​落着き、​すでに​得た​ものに​満足してしまう​態度を​神は​お許しに​ならないからです。​神は、​常に、​より​多く​要求されます。​神の​お望みに​なる​道は、​私たち人間の​道とは​異なります。​聖ヨセフは​神の​素晴らしい​業に​気づく​ために、​いつも​注意深く、​神に​向かって​心を​開いていなければならない​ことを、​誰にもまして​イエスから​よく​学びました。

聖ヨセフが​イエスから​神の​道を​生きる​ことを​学んだの​なら、​聖ヨセフは​人間的な​ことに​ついて​多くの​ことを、​神の​御子に​お教えしたと​言って​差し支えないと​思います。​聖ヨセフを​時々養父と​呼びますが、​私には​あまり​感心できません。​養父と​いう​言葉には、​聖ヨセフと​イエスの​関係が​冷たい​外的な​ものだけであったかのような​印象を​与える​危険が​あるからです。​確かに、​信仰に​よって​私たちは、​聖ヨセフが​実の​父親でなかった​ことを​知っています。​しかし​実の​親子だけが​唯一の​親子関係では​ありません。

​ 聖アウグスチヌスの​説教を​読んで​みましょう。​「聖ヨセフは​父と​いう​名を​受けるに​値すると​いうだけでなく、​誰にもまして​父親らしい父であった。​しかし、​どう​いう​意味で​父であると​言うのだろうか。​父性は​貞潔で​あれば​ある​ほど​それだけより​完全に​なる。​(その​童貞性に​比例して​父性は​強められる)。​誰も、​精神的愛のみで​子を​もうける​ことは​できないので、​ある​人々は、​聖ヨセフが​血肉に​よって​子を​産む普通の​父親たちと​同じだと​考えていた。​それゆえ​ルカは、​『聖ヨセフは​イエスの​父と​思われていた』と​述べている。​なぜ、​思われていた、と​言うのか。​それは、​人間の​推量とか​評価が、​人々の​慣習に​よって​下される​ものだからである。​たとえ​そのように​思われていたにしろ、​イエスは​聖ヨセフの​血肉から​生まれたのではなく、​ヨセフの​敬虔と​愛から、​童貞マリアより​生まれ、​同時に​神の​子であったのである」22。

​ 聖ヨセフは​子を​愛する​父親のように​イエスを​愛し、​持っている​もので​一番​良い​ものを​すべて​与えていたのです。​聖ヨセフは​命令された​通りに​その子を​養い​育て、​イエスに​仕事を​教え、​職人に​しました。​ですから、​ナザレの​村人は、​イエスを​大工、​あるいは​大工の​子23と​呼んでいたのです。​イエスは、​ヨセフの​仕事場で​ヨセフと​共に​働いていました。​神の​御子を​人間的な​面で​助ける​任務を​遂行する​ために、​ヨセフは​どのような​態度を​とり、​彼の​中で​恩恵は​どのように​働いていたのでしょうか。

​ イエスの​仕事ぶりや​性格、​話し方などは、​聖ヨセフに​似ていたに​違い​ありません。​イエスの​現実的な​物の​見方、​観察力、​食卓に​ついたりパンを​裂いたりする​ときの​仕草、​好んで​日常生活の​例を​挙げる​話し方は、​イエスの​幼年期や​青年期を​反映する​もので、​ヨセフとの​交わりに​よって​得た​ことなのです。

​ 受肉の​秘義の​偉大な​神秘を​見逃す​ことは​できません。​人間であり、​イスラエルの​ある​地方の​方​言で​話し、​ヨセフと​いう​職人に​似ていた、​この​イエスは​神の​子であります。​その神の​子に​誰が、​一体、​何を​教える​ことができるのでしょうか。​けれども、​実際、​イエスは​人間であって、​人々と​同じように​生活していました。​子どもの​頃は​子どもらしく、​青年に​なってからは​青年と​しての​力を​出して、​聖ヨセフの​仕事を​手伝っていました。​そして、​年も​長け、​成熟した​人に​なったのです。​「イエスは​知恵が​増し、​背丈も​伸び、​神と​人とに​愛された」24。

毎日の​生活に​ついては、​ヨセフは​イエスの​先生でした。​毎日、​御子と​細やかな​愛情の​こもった​生活を​し、​喜んで​自分を​捧げながら​御子の​面倒を​みました。​これは、​この​義人、​旧約の​信仰の​頂点に​立つヨセフを、​内的生活の​師と​考える​よい​理由ではないでしょうか。​内的生活とは、​キリストと​一致する​ために、​彼と​たゆまず親しい​交わりを​続ける​以外の​何ものでもありません。​ヨセフは​イエスに​ついて、​たくさんの​ことを​教えてくださいます。​それゆえ、​聖ヨセフヘの​信心を​おろそかに​できません。​旧約聖書は、​キリスト教の​伝統が​伝えてきたように、​「ヨセフのもと​へ​行きなさい」25と​教えているからです。

​ 内的生活の​師、​職務に​熱心な​労働者、​イエスとの​弛まぬ交わりを​もつ神の​忠実な​下僕、​これが​聖ヨセフです。​「ヨセフのもとへ」。​キリスト信者が​神の​ものであるには​どう​すれば​よいのか、​また、​社会に​いながら​社会を​聖化するには​どう​すれば​よいのかを​聖ヨセフから​学ぶことができるのです。​聖ヨセフと​親しく​交流を​続けましょう。​そう​すれば、​イエスに​出会う​ことでしょう。​そして​また、​ナザレの​愛すべき仕事場を​いつも​平和な​雰囲気で​包んだ​聖マリアに​お会い​する​ことができるでしょう。

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