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仕事は、​地上の​人間の​生活に​とって​避け難い​ものです。​仕事には、​努力や​苦労や​疲労が​伴います。​この​世に​生きる​人間の​生活に​苦しみや​戦いが​伴うと​いう​ことは、​私たちが​罪人で​あり救いを​必要と​している​ことを​示しています。​しかし​仕事​その​ものは​罰でも、​呪いでも、​懲らしめでもありません。​仕事を​否定的にとるなら、​聖書を​よく​理解していない​証拠だと​言えましょう。​仕事は​神の​賜物である、​従って​仕事に​貴賎の​別を​つけ、​携わる​仕事の​種類に​よって​人間に​差を​つける​ことは​無意味である、と​キリスト信者は​今こそ声を​大に​して​叫ばなければならないのです。​仕事は​すべて​例外なく​人間の​尊厳の​証明であり、​神の​創造に​なる​世界を​人間が​支配している​証拠なのです。​仕事は​各自の​人格を​発展させる​機会であり、​人々と​協調する​ための​絆と​なり、​家族を​支える​手段でもあります。​さらに​また、​私たちは​仕事を​通して、​社会の​向上と​全人​類の​進歩に​寄与する​ことができるのです。

​ キリスト信者に​とって、​このような​見方は​さらに​広く​大きな​意味を​もつ​ものとなります。​信者に​とって​仕事とは、​神の​創造のみ​業に​参与する​ことだからです。​人類創造の​とき、​神は​祝福しながら​言われました。​「産めよ、​増えよ、​地に​満ちて​地を​従わせよ。​海の​魚、​空の​鳥、​地の​上を​這う​生き物を​すべて​支配せよ」​14。​そのうえ、​キリストが​仕事に​従事された​ときから、​私たちに​とって、​仕事は​贖われた​ものであると​同時に、​救いを​もたらすものとなったのです。​仕事は​単に​人が​生活を​営む場であるだけでなく、​聖化の​手段であり、​道であり、​聖化され得ると​共に​聖化を​もたらす現実なのです。

聖書への参照
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