294

「実に、​神のみ​心は、​あなたが​たが​聖なる​者と​なる​ことです」1。​聖パウロの​この​叫びに​注意して​耳を​傾けると、​心が​強く​揺さぶられます。​そこで​今一度、​私たちが​聖人に​なる​ことこそ、​神の​お望みである​ことを​考え、​私自身が​聖人たらんと​決心すると​同時に、​皆さん方に、​また​すべての​人々に、​神の​このみ​旨を​思い​起こして​欲しいと​思います。

​ 真の​平和で​心を​満たし、​世を​改め、​現世に​おいて、​現世の​事柄を​通して​主なる​神に​出会うには、​私たちが​各々聖人に​なる​ほか​ありません。​幾多の​国の、​様々な​社会環境の​人々と​話すとき、​次のような​要望を​しばしば​受けました。​結婚している​者たちに​何か​おっしゃってください、​農業に​いそしむ者たちに​何か​一言を、​夫に​先立たれた​者たちに​何か​一言を、​青年たちにも​一言を、など。

​ ​「釜は​一つしかない」。​これが​私の​決まった​返事です。​ついで、​イエス・キリストは​人の​差別を​せず、​どのような​人にも​福音を​教えた​ことを、​詳しく​説明する​ことに​しています。​一つの​釜からとる​同じ​食物。​「わたしの​食べ物とは、​わたしを​お遣わしに​なった方の​御心を​行い、​その業を​成し遂げる​ことである」2。​青年も​老人も、​未婚者も​既婚者も、​健康な​人も​病気の​人も、​教養の​ある​人も​ない​人も、​どんな​仕事を​していても、​どこに​いても、​一人​ひとりが​聖性に​召され、​各々に​愛が​求められています。​神を​いよいよ信頼し、​神との​親密さを​いや増す方​法は、​一つしか​ありません。​そして、​その​唯一の​方​法とは、​祈りに​おいて​主と​交わり、​主と​語り合い、​心と​心の​触れ合いの​うちに、​主への​愛を​示すことなのです。

この点を別の言語で