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生きた​祈り

​「起き出して​町を​めぐり、​通りや​広場を​めぐって、​恋い​慕う​人を​求めよう」34。​心の​平和を​求めて、​町々だけでなく、​諸国を​巡り、​諸民族を​尋ね、​小道、​抜け道に​いたるまで、​世界中くまなく​駆け巡ろう。​そして、​日常の​仕事の​中に、​平和を​見出す。​仕事は​邪魔に​なる​どころか、​かえって​一層愛を​深め、​神との​一致を​緊密に​する​動機で​あり近道です。

​ 失望、​戦い、​争い、​悲嘆、​心の​暗夜など、​誘惑が​再び待ち伏せ、​あるいは​襲いかかってくる​とき、​詩編作者と​共に、​「苦難の​襲う​とき、​彼と​共に​いて​助ける」35と​いう​一節を​口ずさみつつ​考えましょう。​イエスよ、​あなたの​十字架と​比べると、​私の​十字架には​どれだけの​価値が​あると​いうのでしょう。​あなたの​傷口と​比べれば​私のかすり傷などなんでも​ありません。​あなたの​広大無辺で​純粋な​愛が​あれば、​私の​肩に​お乗せに​なった​こんな​些細な​悲しみなどとるに​足りません。​そこで、​私たちも、​「愛ゆえに​死」36を​も辞すまいと​いう​聖なる​望みに​駆られて、​それを​口に​する​のみならず、​それを​行いに​表すのです。

​ 神の​涙の​わけを​悟りたい、​神の​微笑み、​神の​顔を​仰ぎ見たいと​いう​熱い​望みが​生まれる。​この​気持ちは、​聖書の​次の​一節に​見事に​表現されています。​「涸れた​谷に​鹿が​水を​求めるように、​神よ、​わたしの​魂は​あなたを​求める」37。​心は​神の​うちに​潜んで​前進し、​神化される。​そして、​喉の​渇いた​旅人のようになり、​出合う​井戸ごとに​口を​開いて​渇きを​癒します38。

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