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聖三位一体

​ 子供の​ときに​教わった​単純で​美しい​口祷を​出発点としましたが、​もは​や​これらの​口祷を​捨てる​ことは​ないでしょう。​無邪気な​子供の​心で​始めた​この​祈りの​道は、​今や​広くて​静かな道、​確実な​道に​発展しました。​「わたしは​道である」28と​仰せに​なった​御方との​友情を​保ち続けているからです。​キリストを​このように​愛するなら、​そして、​槍で​貫かれた​主の​わき腹の​傷口に​超自然の​大胆さを​もって​隠れ場所を​求めるならば、​主の​約束は​実現する​ことでしょう。​「わたしを​愛する​人は、​わたしの​言葉を​守る。​わたしの​父は​その​人を​愛され、​父と​わたしとは​その​人の​ところに​行き、​一緒に​住む」​29と​いう​約束が。

​ ​そこで、​心は、​聖三位の​各ペルソナを​区別して、​別々に​礼拝する​必要にかられる。​これは、​ある​意味で、​子供が​目を​見開いて​物事を​発見するように、​超自然の​生活に​おいて​実現する​心の​発見であると​言えます。​聖父と​聖子と​聖霊との​交わりを​楽しみ、​生きる​力を​お与えに​なる​慰め主の​御働きかけに​容易に​従います。​受ける​値打ちの​ない​私たちに、​超自然徳や​賜物を​お与えに​なる​慰め主に​従うのです。

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