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この​旅路は​村に​着いた​ときに​終わりました。​人と​なった​神の​慈しみ深い​言葉を​耳にし、​我知らず心に​疼きを​覚えた​二人は、​主が​行っておしまいに​なるのではないかと​思い、​悲しくなります。​イエスは​「な​おも​先へ​行こうとされる​様子」​43だったからです。​私たちの​主は​決して​ご自分を​押しつけたりなさいません。​心の​うちに​注いでくださった​清い愛を​垣間見た​私た​ちが、​自由に​主を​お呼びする​ことを​お望みに​なります。​「一緒に​お泊まりください。​そろそろ夕方に​なりますし、​もう​日も​傾いていますから」​44、​もう​すぐ​夜に​なりますからと、​無理にも​主を​お引き​止めすべきです。

​ 正直でないからか、​それとも​遠慮しているからか、​私たちは​いつも​勇気を​欠いているようです。​しかし、​心の​中では、​主に​申し上げたいのです。​私の​心は​闇に​包まれています。​どうぞ一緒に​お泊まりください。​私たちに​とってあなたのみが​光であり、​焼き尽くすような​私たちの​憂いを​鎮める​ことが​おできに​なるのも​あなただけですから。​それに、​「美しい​こと、​正しい​ことの​中で​いちばん​大切な​ことは、​あなたを​常に​所有する​ことであると​いう​事実を​忘れては」45おりませんと。

​ イエスは​留まってくださいます。​キリストが​パンを​割かれた​ときの​クレオパと​その​仲間と​同じように、​私たちの​眼も​開かれる。​そして、​目の​前から​主の​姿が​消え去って、​あたりは​再び夜の​とばりに​包まれてしまったにも​かかわらず、​もう​一度​旅を​始める​ことができる。​このように​大きな​喜びは、​胸に​秘めて​おく​ことは​できず、​主に​ついて​人々に​伝えたくて​仕方が​なくなるからです。

​ エマオへの​道。​主の​おかげで​<エマオ>への​道は​優しい​響きを​伝える​言葉に​なりました。​<エマオ>とは​全世界の​こと、​主は​神に​至る​地上の​道を​開いてくださいましたから。

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