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聖なる​十字架

熱い​礼拝の​心、​静かな​落ち着きと​苦痛を​伴った​償いの​心、​このような​心を​もった​人は、​「自分の​十字架を​担って​わたしに​従わない​者は、​わたしに​ふさわ​しくない」17と​いう​イエスの​言葉の​真意を​よく​理解し、​その​忠告に​文字通り従う​ことでしょう。​主の​要求は​次第に​厳しくなり、​「神に​対して​生きる​ために​(…)​キリストと​共に​十字架に​つけられています」​18と、​燃えるように​熱望する​ほどの​償いを​求めて​こられます。​しかし、​私たちは​<この​宝>を、​脆く​壊れやすい​「土の​器に​納めています。​この​並外れて​偉大な​力が​神の​ものであって、​わたしたちから​出た​ものでない​ことが​明らかに​なる」1​9ためです。

​ ​「わたしたちは、​四方から​苦しめられても​行き詰まらず、​途方に​暮れても​失望せず、​虐げられても​見捨てられず、​打ち倒されても​滅ぼされない。​わたしたちは、​いつも​イエスの​死を​体に​まとっています、​イエスの​命が​この​体に​現れる​ために」20。

​ 主が​私たちに​耳を​傾けてくださらないとか、​自分は​欺かれているとか、​さらには、​聞こえるのは​自分の​声だけだとか​想像してしまう。​地上には​支えが​なく、​天からも​見放されたかのように​感じる。​しかし、​たとえ小罪であっても​罪は​犯したくないと​思う​心は​誠実で、​罪を​避ける​努力も​している。​私たちも​カナンの​女のように​平伏して​主を​拝み、​粘り強く​主に​お願いしてください。​「主よ、​どうか​お助けください」21。​すると、​暗闇は​愛の​光に​打ち負かされ、​消え​去ってしまう​ことでしょう。

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