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「あなたた​ちが​どこに​いても、​捕われから​解放しよう」7。​祈りに​頼れば​束縛から​解放されます。​愛に​夢中に​なった​心は、​自由に​飛びまわって​愛を​言祝ぎ歌い、​神からは​離れたくないと​切に​望むに​至る。​これは​地上に​おける​新たな​歩み、​神的、​超自然的な​歩みです。​十五世紀の​カスティーリャ地方の​数多い​著述家の​言葉を​思い出せば、​次のような​一節を​しみじみと​味わいたくなる​ことでしょう。​わたしは​生きているが​実は​わたしではなく、​キリストが​わたしの​うちに​生きておられる8。

​ ​何年も​何年も​この​世にとどまって​働かなければなりませんが、​与えられた​寿命を​喜んで​全う​しましょう。​この​地上では​イエスの​友は​多くないからです。​神と​教会に​仕える​ために​生き続ける​義務、​また、​レモンを​搾るように​力を​使い果たすまで​働く​義務を​拒むことの​ないように​したい​ものです。​ただし、​その​ときも、​「キリストが​わたしたちを​解放されて」9得た​自由、​すなわち​「神の​子供たちの​栄光に​輝く​自由」​10を​持って、​十字架上の​死去を​通して​イエス・キリストが​勝ち得てくださった​自由を​持って、​主に​仕えなければなりません。

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