311

こういう​献身が​できれば、​使徒職への​情熱は​火のように​燃え​上がって​日毎に​強まり、​その​情熱を​人々にも​移さずには​いられなくなる。​善は​広がる​性質を​もっているからです。​哀れな​我々では​あっても、​神の​傍に​いる​ことさえできれば、​焔と​燃え​上がらぬはずは​ありません。​世界中に​喜びと​平和を​<振り撒き>、​キリストの​傷ついた​わき腹39から​湧き出る​救いの​水を​世界中に​注いで、​あらゆる​仕事を​神の​愛ゆえに​始め、​そして、​終える​ために​力を​尽くさぬわけには​いかなくなるのです。

​ 先ほど、​悲しみと​苦痛と​涙に​ついて​話しました。​しかし、​次のように​断言しても​辻褄の​合わぬことを​言うことには​なりません。​愛を​込めて​偉大な​師を​探し求める​弟子に​とって、​悲嘆や​苦痛には​独特の​味わいが​あります。​たとえ神経は​参ってしまい、​苦痛が​耐え難く​思われても、​忠実な​子に​ふさわしく​神のみ​旨を​心から​受け入れ、​神の​計画を​喜んで​果たすやいなや、​苦しみは​直ちに​消えてしまうからです。

聖書への参照
この点を別の言語で