聖母マリア

  聖母を​愛すれば、​その愛は​息吹と​なり、​あなたの​微温と​いう​燃え止しに​隠れた、​熾火のような​諸徳を、​赤々とした​炎に​燃え​上がらせてくれるだろう。

  聖母を​愛しなさい。​そう​すれば、​この​日々の​戦いに​勝てるよう、​豊かな​恩寵​(恩恵)を​獲得してくださるだろう。​そして、​あなたの心の​中で​煮えたぎり​湧き​上がる​邪悪も、​まったく​悪魔の​役には​立たなくなるだろう。​芳香を​放つ腐敗を​もってしても、​キリストご自身が​あなたの心に​お与えに​なった​数々の​偉大な​理想や​崇高な​命令を​押し流してしまう​ことは​なくなるのである。​〈 私は​仕えます!​〉

  マリアの​ものになりなさい。​そう​すれば、​あなたは​私たちの​一人に​なるだろう。

  常に、​イエスのもと​へ​行く​ときは​マリアを​通り、​イエスのもと​へ戻る​ときも​マリアを​通る。

  文学や​政治、​軍隊、​教会などの​著名人と​親戚関係に​ある​人々は、​そのことが​話題に​なると、​大喜びする。

​ 無原罪の​おとめマリアのみ​前で、​次のように​歌ってあげなさい。

​ ​ ​おめでとう、​父なる​神の​娘、​マリア。​おめでとう、​子なる​神の​母、​マリア。​おめでとう、​聖霊なる​神の​花嫁、​マリア。​あなたに​優る​お方は​ただ神のみ。

  あなたは​様々な​理由で​聖母の​ものであるから、​私の​母よと、​申し上げなさい。​私の​母よ、​あなたの愛で​私を​御子の​十字架に​縛り付けてください。​私たちの​イエスのみ​旨を​果た​すために、​聖なる​信仰と​勇気と​大胆さが​私に​不足しませんように。

  生涯の​すべての​罪がの​しかかってくるようだ。​がっかりするな。​むしろ、​幼子の​信仰とお任せする​心で、​あなたの​母マリアを​お呼びしなさい。​心の​平安を​与えてくださるだろう。

  いとも​聖なる​マリア、​神の​御母は、​村の​婦人たちの​間で​目立たずに​お過ごしに​なった。

​ 聖母から​〈自然な​〉生き方を​学びなさい。

  カルメルの​聖なる​スカプラリオを​身に​着けなさい。​たくさんの​極めて​立派な​聖母信心が​あるけれども、​スカプラリオほど​信者の​間に​深く​根を​下ろし、​これほど​多くの​教皇の​祝福を​受けた​信心は​あまりない。​それに、​土曜日の​特権は​真に​母親らしい​ものである。

  聖母の​ご絵の​うちでもっとも​信心を​感じるのは​どれですかと​尋ねられた​とき、​経験豊かな​あなたは、​「すべて」と​答えた。​その​とき、​あなたが​良い子だと​分かった。​良い​子だから​こそ、​御母の​ご絵なら、​どれも​好ましい、​夢中に​なる、と​言ったのである。

  祈りの​先生である​マリア。​カナで​どのように​御子に​お願いに​なるかを​見なさい。​根気よく、​がっかり​せず、​執拗に​願い、​遂に​望みを​達せられるのを。

​ 学び取りなさい。

  マリアの​孤独。​独りぼっちである。​見捨てられ、​泣いておられる。

​ あなたも​私も​聖母に​付き添い、​嘆き悲しまなければならない。​イエスを​十字架にはりつけたのは、​釘、​すなわち、​私たちの​惨めさであるから。

  心が​肉で​できている​ことを​痛感する​とき、​信頼して​助けを​願うなら、​聖なる​おとめマリア、​麗しい​愛の​御母は、​あなたの心を​静めてくださるだろう。

  聖母を​愛する​ことは、​事業でも​個人でも、​良い​精神の​しるしである。

​ この​しるしの​ない​事業を​信用しないように。

  悲しみの​聖母。​彼女を​眺める​ときは、​そのみ​心に​目を​注ぎなさい。​聖母は、​向かい合う​二人の​子、​イエスと​あなたの母である。

  ​私の​母・聖マリアの​謙遜、​なんと​素晴らしい​謙遜だろう。​エルサレム入城の​場面で、​イエスが​棕櫚の​枝を​かざす群衆に​大歓迎された​とき、​マリアの​姿は​見えない。​最初の​奇跡である​カナの​婚宴を​除けば、​大きな​奇跡の​場にも​おられない。

​ しかし、​ゴルゴタでの​軽蔑からは​逃げ出さず、​そこ、​「イエスの​十字架の​傍らに」立っておいでになる。

  聖マリアの​強さに​感嘆しなさい。​十字架の​傍らで、​悲痛の​極みと​いえる​悲しみを、​剛毅の​心で​忍んで​おられる。

​ 同じ​強さを​聖母に​お願いしなさい。​あなたも​十字架の​傍らに​立っている​ことができる​ためである。

  目立たず​静かな​犠牲の​先生である​マリア。

​ ほとんどの​場合、​隠れて​御子に​協力する​マリアを​見なさい。​彼女は​知悉し、​な​おかつ​不言である。

  なんと​いう​純真さなのだろう。​「わたしは​主の​は​しためです」。​そして、​みことばは​人となられた。

​ これが​聖人たちの​働き方だった。​突飛な​ところは​何も​なかった。​万一、​人目を​引いたとしても、​それは​聖人たちの​意に​反しての​ことだった。

  ​「マリア、​恐れる​ことはない」。​大天使を​目前に、​聖母は​当惑した。

​ ​私が​純潔の​護衛である​慎みの​小さな​心遣いを​捨ててしまいたいと​思った​ときの​ためである。

  お母様、​母よ、​あなたは、​その​「成りますように」と​いう​言葉で、​私たちを​神の​兄弟とし、​栄光の​世継ぎと​してくださいました。​あなたは​称えられますように。

  以前は​一人だったから​できなかった。​今は、​聖母に​助けを​願って​マリアと​一緒だから、​なんと​容易に​できる​ことか。

  信頼しなさい。​戻りなさい。​聖母のみ​名を​お呼びしなさい。​そう​すれば、​忠実を​保つことができるだろう。

  刻々と​力が​抜けていくと​いうのか。​なぜ​その​ことを​聖母に​申し上げないのか。​聖母は​〈憂き人の​慰め、​キリスト信者の​助け、​私たちの​希望、​使徒の​女王〉なのに。

  ​「母よ」と​強く、​強く​お呼びしなさい。​聖母マリアは​あなたに​耳を​傾け、​ひょっとしたら​危険の​直中に​いる​あなたを​ごらんに​なって、​御子の​恩寵​(恩恵)を​取り次ぎ、​膝に​乗せて​優しく​愛撫してくださる。​そこであなたは​新たな​戦いに​赴く​ための​勇気を​得たことに​気づくだろう。

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