清貧

  忘れないで​ほしい、​必要な​ものを​少なく​する​人ほど​多く​持つ者である。​自分から​必要な​ものを​作り出してはならない。

  この​世の​富に​執着しないように。​心の​貧しさを​愛し、​それを​実行しなさい。​質素で​節制の​利いた​生活を​送る​ために​必要な​分だけで​満足すべきである。​さも​なければ、​あなたは​決して​使徒には​なれないだろう。

  真の​清貧は、​持たない​ことに​あるのではなく、​執着しない​こと、​物に​対する​支配権を​自発的に​放棄する​ことに​ある。

​ だから、​実際には​富んでいても、​貧しい​人が​いるし、​また​その​反対の​場合も​ある。

  神の​人であるなら、​世間の​人が​富を​手に​入れる​ために​注ぎ込むのと​同じくらい​必死に​なって、​富を​軽蔑しなさい。

この​世の​物になぜ​それほどまでに​執着しているのか。​すべては​間もなく​あなたの​手から​去っていってしまうだろうに。​いくら金持ちであっても、​墓に​入る​とき富を​携えて​行く​ことなどできないのだ。

  他人が​見ていない​時に、​自分の​ため、​最悪の​ものを​選べないようなら、​清貧の​精神は​あなたの​身に​ついていない。

  〈富が​増えても、​それに​心を​奪われないように​〉、​富を​惜しみなく​用いる​よう​努めなさい。​さらに、​必要ならば​英雄的に​用いなさい。

​ 心の​貧しい​人に​なりなさい。

  貧しさが​もたらすものを​愛さないなら、​清貧を​愛しているとは​言えない。

  清貧には、​なんと​多くの​聖なる​手段が​与えられている​ことだろう。​覚えているだろう。​あの​使徒的事業が​経済的な​困窮に​遭った​とき、​あなたは​最後の​一銭までも​差し出した。

​ そうすると、​神の​司祭は​こう​言った。​「私も、​持っている​すべてを​差し上げましょう」。​あなたが​ひざまずくと、​「全能の​神、​父と​子と​聖霊の​祝福が​あなたにくだり、​常に​留まりますように」と​聞こえてきた。

​ あなたは​今も、​充分な​報いを​受けたと​確信している。

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