清貧
忘れないでほしい、必要なものを少なくする人ほど多く持つ者である。自分から必要なものを作り出してはならない。
この世の富に執着しないように。心の貧しさを愛し、それを実行しなさい。質素で節制の利いた生活を送るために必要な分だけで満足すべきである。さもなければ、あなたは決して使徒にはなれないだろう。
真の清貧は、持たないことにあるのではなく、執着しないこと、物に対する支配権を自発的に放棄することにある。
だから、実際には富んでいても、貧しい人がいるし、またその反対の場合もある。
神の人であるなら、世間の人が富を手に入れるために注ぎ込むのと同じくらい必死になって、富を軽蔑しなさい。
この世の物になぜそれほどまでに執着しているのか。すべては間もなくあなたの手から去っていってしまうだろうに。いくら金持ちであっても、墓に入るとき富を携えて行くことなどできないのだ。
他人が見ていない時に、自分のため、最悪のものを選べないようなら、清貧の精神はあなたの身についていない。
〈富が増えても、それに心を奪われないように〉、富を惜しみなく用いるよう努めなさい。さらに、必要ならば英雄的に用いなさい。
心の貧しい人になりなさい。
貧しさがもたらすものを愛さないなら、清貧を愛しているとは言えない。
清貧には、なんと多くの聖なる手段が与えられていることだろう。覚えているだろう。あの使徒的事業が経済的な困窮に遭ったとき、あなたは最後の一銭までも差し出した。
そうすると、神の司祭はこう言った。「私も、持っているすべてを差し上げましょう」。あなたがひざまずくと、「全能の神、父と子と聖霊の祝福があなたにくだり、常に留まりますように」と聞こえてきた。
あなたは今も、充分な報いを受けたと確信している。
…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/camino/seihin/ (2025/06/07)